地球はテーマパーク?

私は、「地球はテーマパークなのだ」と思える人が、少しずつ増えたらいいなと願っています。

以前、テレビで外国人観光客が「日本はどこに行ってもテーマパークみたいだ」
と話しているのを耳にしました。

神社、街並み、コンビニ、電車、四季の移ろい。
日本人にとっては当たり前の風景が、彼らにとっては特別な体験なのだそうです。

たとえば、通勤の満員電車。
多くの日本人にとっては、正直つらい時間かもしれません。
けれど海外の人にとっては、「こんなに人が多く、秩序が保たれている空間」は、とても珍しく、新鮮な体験なのだとか。

「それは観光だからでしょう」
「日本は危険が少なくて安心だから」

そんな日本人的な声が聞こえてきそうです。
たしかにその通りかもしれません。

私は、海外生活を語れるほど知りません。
それでも、少なくとも日本は「いい国」なのだろうと思っています。
……いや、そう信じたい、という気持ちの方が近いかもしれません。

テーマパークには、「絶叫マシン」や「お化け屋敷」もあります。
わざわざお金を払ってまで、恐怖を体験したい人がいる。
それは少し不思議なことでもあります。

でも視点を変えれば、人は「安心」だけでなく、「刺激」や「恐れ」さえも体験したくて、そこに足を運んでいるとも言えます。

この考えを、少し大きく、宇宙レベルまで広げてみるとどうでしょう。

もし私たちが、
あらゆる感情を体験するために地球に来ている
としたら。

同じ出来事でも、ある人にとっては「ただの恐怖」で終わる体験が、
別の人にとっては「深く味わえる体験」になることもあり得ます。

その違いは、
置かれた状況をどれだけ俯瞰できるか、
あるいは、どれだけ人生を味わおうとしているか、
そんな成熟度の差なのかもしれません。

日本は、世界的に見れば「安心・安全」が保たれた国です。
だからこそ、派手な感動よりも、小さな幸せに目を向ける余地があると思います。

毎日同じ通勤風景としても、その日、その瞬間で、太陽の光は違います。
差し込む光の角度や色合い、街に落ちる影、人の表情。
ほんの少し意識を向けるだけで、違った見え方もできる。

そうした些細な気づきや発見は、やがて感謝へと変わります。
小さいけれど、実はとても大きなものです。

劇的な出来事がなくてもいい。
小さな感謝の積み重ねは、確実に生きるパワーになります。


だから私は、「日本はどこもテーマパークのようだ」という外国人の言葉は、
決して間違っていないと思っています。

私自身、何気ない毎日の風景の中に、小さいけれど確かな気づきや喜びがあることを感じています。
それは特別な出来事ではなく、ほんの一瞬、視点を変えたときに現れるものです。
スピリチュアルライフコーチとして、そんな日常に散りばめられた気づきや喜びを、これからも静かに、そして丁寧に、共有していけたらと思っています。