正しさ、らしさ

—正義と自分らしさをめぐって—

「あんぱん」から始まった問い

朝ドラ「あんぱん」が最終回を迎えました。
この物語は「変わらない正義とは何か」というテーマを掲げていたと思います。

ドラマの話にとどまらず、私自身も最近「正しさ」や「正義」とは何かをずっと考えていました。
以前から心の片隅にあった問いが、ここに来てより明確に浮かび上がってきています。

ある人にとっての“正しさ”が、確信をもって強力に主張されると、別の人にとっては脅威になることもあります。
その違和感から、「正義とは何か」「私は何を正しいと思うのか」を、今あらためて言葉にしてみたいと思いました。

有限と無限の視点

「正しさ」や「正義」を一義的に決めようとすると、必ず“枠”が生まれます。
有限な世界では、「これが正しい/これではない」と線引きをし、枠に当てはまらないものを排除してしまう――そんな力が働きます。

でも、もし世界を無限として見たならどうでしょう。
ある主張が強くあっても、その強さが世界全体を支配するわけではない。
影響が限りなく小さい、ほとんど感じられない――そんな見方もできるはずです。 そう考えると、「正しさ」という概念自体が相対的で、必ずしも意味を持たないのかもしれない。

少なくとも無限や永遠を信じるなら、奪い合う必要はない。
では、何が絶対的に大切なのか。
その問いが私を、自分の“正しさ”を生きる道へと導いてくれます。

私の答え:正しさとは「自分らしくあること」

今、私がたどり着いたひとつの結論は、私にとって、正義とは「自分らしくあること」です。

自分らしさとは、強さだけでなく、影の部分、迷い、不安――そのすべてを認めること。
ただし影に支配されるのではなく、本来の自分、魂としての自分を軸に生きること。

そんな感覚を鮮やかに映してくれたのが、Official髭男dismの曲 「らしさ」 でした。

「らしさ」


https://youtu.be/keOnleW2eak
この曲は内省し、自分の中の光と影を僕と君として表現したところが素晴らしいです。

影を否定せず、むしろ受け入れながらも、本来の自分で生きようとする姿を歌っています。

特に「でも僕はもう限界だ。君の言いなりになってたまるか。
   僕は、やっぱ、だれにも負けたくないんだ!」

という一節。
ここでいう「だれ」とは他人ではなく、自分の中の思考や感情、欲求――つまり“影”の部分のことだと私は感じます。
影を否定しないと言いましたが、これは自分の中の何を選択するかです。
影を選択もあるかも知れませんが、この歌では光を中心軸に選択したと解釈できます。

そして、結びにも、強く共感します。

『「らしさ」そんなものを抱えては、息絶えるまで泣くんだ。笑うんだ。ああ生きててよかったな』

そして、この歌詞は、『アンパンマンのマーチ』にも重なります。

「アンパンマンのマーチ」

「そうだ うれしいんだ 生きる よろこび。たとえ 胸の傷がいたんでも」
傷や痛みを抱えながらも、生きる喜びを肯定する――まさに私がいま感じている「自分をまるごと肯定する生き方」です。


https://youtu.be/2dIcaF9P2zI?si=n_EXE7_uGbDogg-c
生きる目的を考えさせられます。

あなたへ

あなたにとっての“正しさ”とは何でしょう。
その中に、普段は抑えてしまっている自分の影の部分は含まれていますか。

私自身、この問いを何度も自分に投げかけながら歩んでいます。
スピリチュアルライフコーチとして、あなたの「自分らしさ」を見つめ直し、
その点と点を線につないでいくお手伝いができればと思っています。