オリンピックと共鳴

いま、冬季オリンピックがイタリアで開催されています。
テレビをつけると、競技につい見入ってしまう。
真剣勝負のスポーツは、毎回、胸が熱くなるのは不思議です。

前回北京五輪になりますが、スノーボード男子ハーフパイプで、
平野歩夢選手が王者ショーンホワイトから引き継いだと思われるシーンは大変感動的でした。
(更にその前の平昌五輪で金メダルを逃した経緯があり、4年後の感慨深いものがありました)

「なぜ、こんなに感動するのだろう?」
それは、共鳴にあると思っています。

苦しさの先にあるもの

オリンピックに出場する選手たちは、
想像を超えるほどの厳しい練習を積み重ねてきたはずです。

寒さ、痛み、不安、何度も心が折れそうになった瞬間もあったでしょう。
そのすべてが、たった一瞬で問われる。
どれほど努力を重ねても、その結果は必ずメダルという形で表れるわけではありません。

それでも私たちは、リンクに立つ姿、滑り出す瞬間、ゴール後の表情に、
強く心を動かされます。

共鳴する理由

わたしは、共鳴する理由をこうとらえています。
自分が好きなことを自らの意志により、全力で邁進しているから。

誰かに強制された道ではなく、
好きだから、自分の意志で選び、進んできた道。
その姿勢が、魂の深い部分で、私たちと共鳴しているのだと感じます。

「自分の意志により全力を表現する」という在り方。
その姿は、純粋に美しいのです。

私たちの中にもあるもの

私は思います。
これは、オリンピック選手だけが持っている特権ではなく、
誰もが、本来、魂の深いところに、
「自分の意志で何かを邁進したい」という種を携えて、
この世界に生まれてきている。

あなたの邁進が、誰かを共鳴させる

あなたが選び、自分の意志で、一歩ずつ進んでいること。
その姿は、きっと誰かの心に、
静かな共鳴を起こしています。
それは、スポーツかも知れないし、知的探求や文化的創作かもしれないし、
何かの活動かも知れません。

あなたの邁進は何ですか?

自分を生きることは、それ自体が、周囲に影響を与える力を持っている。
私は、そう信じています。