安心とは何か
私は前回の記事でも少し触れましたが、
最近、不思議に思っていることがあります。
それは、
「安心していられる自分がいる」ということです。
もちろん、不安にならないわけではありません。
不安になることもあります。
ただ、その不安を無理に消そうとするのではなく、
「そう感じているんだな」と受け入れているうちに、
気がつくと、また安心の状態に戻っているのです。
その感覚が、自分でも少し不思議に感じています。
では、そもそも「安心」とは何なのでしょうか。
漢字で書くと「安らかな心」。
とてもシンプルですが、
実はとても奥深い言葉だと思います。
私たちはつい、安心を外に求めてしまいます。
例えば、
お金があれば安心
恋人がいれば安心
地位があれば安心
そう思いがちです。
しかし現実には、
それらを手にしても不安を感じている人は少なくありません。
なぜでしょうか。
それは、
心の奥、もっと言えば意識の深い部分に
「安心」がないからではないかと思うのです。
認めるもの
私なりに感じている安心とは、こういう感覚です。
「大丈夫だよ」
「そのままでいいよ」
「あなたには価値がある」
そんな言葉を、
自分自身に向けてかけてあげられる状態です。
つまり、安心とは
外から与えられるものではなく、
自分の内側で認めるものなのだと思います。
ただ、これが簡単なようで難しい。
なぜなら、私たちには
普段気づいていない「無意識」の領域があるからです。
頭では「大丈夫」と思おうとしても、
心の深いところでは不安を握りしめている。
そんな経験をしたことがある方も多いのではないでしょうか。
そんなとき、無理に考え方を変えようとするよりも、
まずは「安心できる感覚」に触れることが大切だと感じています。
いくつか方法はありますが、
ここでは私が実際に感じているものを2つご紹介します。
自然を感じる
ひとつは、自然に触れることです。
山や森、木々の中にいると、
言葉にしなくても、どこか心が落ち着く感覚があります。
木々は、太陽のエネルギーを受けながら、
ただそこに存在しています。
その静かでやさしい生命の流れに触れると、
私たちの内側も自然と整っていくように感じます。
人からの気付き
もうひとつは、人です。
誰でもいいわけではありません。
一緒にいるだけで、心がゆるむ人。
安心できる空気を持っている人。
例えば、子どもの頃に訪れた
おばあちゃんの家のような感覚を思い出す方もいるかもしれません。
何も特別なことをしなくても、
ただそこにいるだけで安心できる。
そんな存在に触れることも、
安心を思い出すきっかけになります。
そしてもし今、
不安を感じている方がいたとしたら。
その不安を無理に消そうとしなくても大丈夫です。
まずは「そう感じている自分」を認めること。
そこから、少しずつ
安心へと戻っていけるのだと思います。
安心は、外に探しにいくものではなく、
本来、内側にあるもの。
私はそう感じています。
そしてその感覚を、
必要としている方と一緒に見つけていけたら、
とてもうれしく思います。
