なぜ、本来の自分を忘れて生まれてくるのか
前回記事の続きとなります。
「人生とは、何かを新しく獲得していく旅であると同時に、本来の自分を思い出していく旅でもある。」
としたら、ここで、ひとつの疑問が浮かびます。
本来の自分が神聖な存在であるなら、なぜ私たちは、それを忘れて生まれてくるのでしょうか。
私なりに考えてみました。
忘れることによって、新しい経験ができるのではないか
例えば、最初から自分の本質を完全に理解し、何が起きても大丈夫だと分かっていたら、人生の出来事をどのように受け止めるのでしょうか。
一方、自分が何者なのか分からず、迷い、悩み、他人と比較し、自分の価値を見失うこともある。
そして、さまざまな経験を重ねる中で、少しずつ自分自身を理解していく。
そのときに得られる理解は、最初から知識として知っていたものとは、違うのかもしれません。
もちろん、苦しみそのものが必要だという意味ではありません。つらい経験をしなくても、人は成長できますし、すべての苦しみに意味があると決めつけることもできません。
ただ、知らなかったことを知る。忘れていたものを思い出す。
その過程そのものに、人生ならではの意味があるのではないかと思うのです。
忘本来の自分を思い出し、それを表現して生きる
私が考える人生の目的は、次の4つです。
●体験を通じて、感じること。
●不要になった観念を手放すこと。
●本来の自分を思い出すこと。
●自分の内にあるものを、現実の世界で表現すること。
これらは、ひとつずつ順番に進むものではなく、同時に進んでいくものなのかもしれません。
経験を通じて自分を知り、不要な観念に気づき、それを手放す。
すると、今まで見えなかった自分の一面に気づくことがあります。
そして、自分の中にある思いや可能性を、仕事や人との関わり、日々の暮らしの中で表現していく。
その経験を通じて、また新しい自分を知る。
そうした循環の中で、私たちは少しずつ、自分らしい生き方を見つけていくのではないでしょうか。
本来の自分を思い出すこと。そして表現すること。
それが、この世に生まれてきた意味であり、人生の醍醐味かもしれません。
もともと自分の中にあるものを思い出し、それを自分らしく表現するために生きているのではと思い始めています。
